world end

見下ろす先、年若い団長が笑っている。
くせ者ぞろいの団員をまとめる姿は妙な貫禄があるが、今は年相応に幼く見えた。
いつも依頼だ何だと忙しそうに走り回っている。
あの小さな体で、空の果てを目指すのだという。
しばらく眺めて、視線を逸らす。
聞こえる声を無視して、艇内へと戻った。


食堂へ向かおうとする途中。
「サンダルフォン~」
名を呼びながら背後から抱きつかれた。
幸いなのかわかっているのか、周りには誰もいない。
腰に回った腕を軽く叩く。
「放せ、珈琲が飲みたいんじゃないのか」
「違うよ」
ぐりぐりと背中に頭を押しつけてくる。
いつからだろう、彼がこんな風に甘えるような仕草を見せるようになったのは。
故郷を離れ、旅をする日々。
彼の肩に掛かる重圧や責任がどれほどの物なのか。
取り繕って平気なフリをできないこともあるだろう。
寂しさや不安を、感じないわけがない。
彼が、特異点であっても。
ぎゅう、と腕に力がこもる。
きっと他の誰かにはできないのだろう。
蒼の少女や赤き竜はもちろん、他の団員も心配しそうだ。
自分の立場を考えれば、皮肉っぽく笑ってやればいい。
「特異点はお疲れのようだな」
「そうだよ、僕は今抱き心地の良い枕が欲しい」
この昼間から、枕。
何故そこへ話が繋がるのがよくわからない。
眠いのだろうか。
「寝るなら部屋に戻れ」
「違う」
背中に重みがかかる。
「……抱き心地は良くないだろう」
ぽんぽん、と再び腕に触れる。
今度は答えがなかった。
「誰かに見られたらどうするんだ?」
それこそ奇行に走ったと思われかねないのではないか。
「グラン」
「っ、そこで名前はずるい!」
理解できない反応に首を傾げながら、腕を掴んで引きはがした。
見下ろした表情は泣いてしまいそうに見え、ふ、と笑ってしまう。
「サンダルフォン」
「俺の部屋で良いか」
単純に近いから。
掴んだ腕を引いて歩き出した。


そして部屋に入ると再び背中に抱きつかれた。
子に縋られるのはこんな気持ちだろうか。
仕方がないな、と。
背中に張り付けたままベッドへと寄る。
ぐぅ、と抵抗するような声が聞こえたが、構わずにベッドに横になった。
するとさすがに腕が離れていく。
振り返れば不満げな表情をしていた。
ブーツを脱ぎ、ブランケットを引っ張って。
「靴を脱いだら仮眠に付き合っても良いぞ」
甘やかし方など知らない。
それでも、人の温もりが恋しいのならば。
腕でも胸でも貸してやろう。
軽く手を広げてやれば、慌てて靴を脱ぎ捨てる。
勢いよく、どん、と胸にぶつかってきた。
ブランケットを引き上げ、背に腕を回す。
まだ小柄だ。
言えばきっと怒るだろう。
自身と比べれば命が短く、とても脆い。
伝わる温もりを腕に感じていると、微かな寝息が聞こえてきた。
なんだ、やはり眠かっただけか。
騎空艇は基本的に騒がしい。
けれど時折、穏やかな時間が訪れる。
今みたいに。
このままでいいのか、と心のどこかで問いかけてくる。
いいわけがない。
二千年抱いた感情がなくなるわけがない。
どろどろと胸の奥で渦巻いている。
普段は忘れたふりをしているだけで。
きっと、これからもずっと。
消えることなどないのだ。
「グラン」
髪を撫でようとして、やめた。

儚くて、愛しい。

一度、空の底へと突き落とした己の手が。
彼を、護りたいだなんて。
傲慢すぎるだろう。


静かな夜だった。
珈琲のカップを片づけ、部屋に入ったところで。
するりと、何かが絡みついてくる。
一瞬で空気が重くなった気がした。
「会いたかったよ、我が麗しの天司長様」
背後から、まるで寄り添うように。
視界を掠めた黒に血が沸き立つ。
「何故お前がここに!」
腰に絡まる腕をふりほどき距離を取る。
振り返った先、信じがたい相手がそこにいた。
「オレを誰だと思っているんだい」
フフフ、と笑いながら赤い舌がちらつく。
攻撃しようと手を翳せば。
「ちょっと待ちなって、敵意のない相手をすぐに攻撃することはないんじゃないか?」
両手を上げた姿が、本当にただのポーズなのはわかっている。
こいつはそういう男だ。
「うるさい、ここでお前を消す」
「一対の羽しか持たないくせに?」
力量の差など簡単に見破られる。
軽薄に笑う口元が憎い。
「今キミがここで騒ぐなら、この艇がどうなるかわからないぜ?」
「……目的は何だ」
「わかってくれて嬉しいよ、キミと話を」
優雅な仕草で目の前に跪く。
芝居がかった仕草で左手を捕まれた。
何をする、言葉になる前に。
指先に唇が触れ、ぞっとする。
力任せに振り払えば、爪が当たったのか唇に傷が付く。
赤いそれを舌先が舐めとった。
「天司が天司長に傅くのは当たり前だろう?」
「堕天司の戯れ言が……」
「そう、オレだって堕『天司』さ。キミに従う存在だ」
そんなわけがない。
この狡知の堕天司が易々といいなりになるわけがない。
従う相手は、創造主しかいないだろう。
立ち上がり、近付いてくる。
無意識に一歩引いたのが悔しかった。
けれどさらに距離を詰められてしまう。
逃げ場を失うことなどわかっていたはずなのに。
壁に背が触れたところで男が口を開く。
「あのつまらない男でなく、キミになら膝を付いてもいい」
ひっそりと、まるで秘密のように囁かれた。
「狙いは何だ」
まだ、空の世界の終末を企んでいるのか。
知らない何かがまだあるのかもしれない。
自分などよりもずっと、男はこの世界に詳しい。
「不完全な欠陥品のキミが、あのルシフェルの真似事をするんだろう?」
顎を捕まれ顔を上向かされる。
同じ赤い瞳がすぐ近くにあった。
「興味しかないな、是非傍で観賞したい」
「はっ、何だ結局は馬鹿にしにきただけか、相変わらず趣味が悪い」
指から逃れようとするのに、強く押さえ込まれてしまう。
「公明正大、無私無欲、キミがなれるとでも?たった一人の空の民に入れあげているのに?」
「何の話だ」
「彼の傍は心地良いかい?犯した罪が赦されるとでも?」
思い浮かべる姿に、喉が詰まる気がした。
そんなことは思っていない、ただ護りたかった。
彼の目指す先は、ずっと遠いところにあるのだから。
「この体を与えたんだろう?あぁ、違うかまだだったか。それともキミが与えられるのかな?」
言いながら腰を押しつけられて意味に気付く。
「妙な言いがかりをするな」
「わかるようになったみたいで嬉しいよ」
押しのけようとした手が捕まれる。
今度は、掌を舐められた。
「キミの手は、罪の味がする」
顔に爪を立てようとすれば簡単に解放された。
ただ距離は近いままだ。
「百年も生きられない、か弱い人間なんて相応しくない」
そんなことは知っている。
ただ見守ることしかできないのだから。
「二千年だ」
低い声とともに、胸の中心に指で触れる。
「長かっただろう。オレたちは同じさ、だからわかる、理解できる。憎しみを糧に、空を睨んで過ごしただろう。忘れるな、キミの本質はそれだ」
心の奥底で蠢く感情を、引きずり出そうとする。
飼い慣らしたはずの、それが。
「ほら、今にも喰い付こうとしている」
最高だ、と言って楽しげに笑いながら、男はまた跪いた。
「オレだけがキミを理解できる。有限の空の民には無理だ。キミにはもうオレしかいないんだよ」
赤い瞳が見上げる。
そこにはきっと、真実など一つもない。
「また会おう、愛しい俺のサンディ」
手の甲に唇が触れる。
滑稽なほどに恭しく見えた。

望むなら、この空の果てまでも。

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