バッドエンドです
苦手な方はご注意ください。
愛する人の瞳に最期に映るのは自分がいい。
そんな話をされたのは、いつのことだっただろうか。
帰路
この辺りの山一つ。
いや、二つか三つか定かではないけれど。
この別荘と同じ個人所有だという。
一番近い町まで、車を飛ばして三十分。
買い出しで小さな町に下りれば、あの山の変わり者と言われるのが面倒で、もう一つ先の町まで行く。
品揃えの問題もあるだろうが、更に三十分かかる。
何とも不便な場所に暮らしている。
しかし別荘の主は、電気と通信回線さえあればいい、というタイプだった。
一日私室に籠もっているので顔を合わせないこともある。
もう一人、主の弟はリビングで珈琲を飲みながら本を読んでいることが多い。
仕事は何なのだろう、と思ったこともあるが、そもそもが資産家なのだ。
何もしなくても金が転がり込んでくる。
いや、不動産だとか株だとか、それらの管理はあるのだろうが。
誰が訪れるわけでもない別荘は、日々同じように過ぎていく。
晴れた日の午前中、勉強でもするかとリビングに向かえば肩を叩かれた。
「買い物行こうぜ、サンディ」
すぐ傍で笑うのは、掃除洗濯食事の準備、買い物や庭の手入れなどもしている男。
外界とのやり取りも全て行っている。
荷物持ちか気分転換か、昔からよく連れ出される。
果たして己の立場は何なのか、未だによくわからない。
雇われているわけでもない。
ただすることがないので指示されれば手伝いをする。
多分断っても強要されはしない。
けれど他にすることなどないので頷いた。
生後間もなくこの山に置き去りにされていたらしい。
見つけられたのは偶然だった。
警察に届け、本来ならしかるべき施設に送られることだったろう。
しかし、気まぐれで別荘に留まることとなった。
おもしろそうだからという理由だけで。
それを知らされたのは世の物事を理解できるようになった頃。
男三人別荘暮らし、が一般的でないことはわかっていた。
本やテレビで、外の世界を知っていたから。
だから、自分自身の境遇も理解できた。
随分と運命が変わったのだとも。
その後、出自を知ったからといって生活が変わることはなかった。
彼らは同情心など持っていなかったし、比較できる相手もいないから身の上を悲観することもない。
学ぶ教材は与えられ、わからなければ教えられる。
望めば学校へ通うこともできただろう。
そうしなかったけれど。
気まぐれに引き取られていなければ、苦労した生活を送っただろう。
知識を得たのはやはり本だった。
虐げられ苦労する話。
そこから這い上がる話。
自分と同じように、誰かに助けられる話。
本来辿るはずだった世界がそこにあった。
物語なら、いつか恩返しをするのがセオリーだ。
そうあるべきだと書かれている。
あの頃はまだ幼くて、ならばどうすればいいのかと問えば切り捨てられた。
不機嫌そうに眉間に皺を作って。
「そんなものはいらん」
そして付け加えられた。
「出て行きたくなったら勝手に出て行け」
と。
すれ違う車もない山道を下り続ける。
舗装されていない道が車を揺らした。
見慣れた景色をぼんやりと眺める。
野生動物もいるだろうが、人前に出てはこない。
山の中はもう涼しいが、町はまだ暑さが残る。
麓に着く頃に窓を少し開けた。
吹き抜ける風が心地良い。
小さな町を抜け、広い道へと出る。
一時間以上移動し、目的地に着くと昼食をすませてから店を回る。
別荘に荷物を届けられるのが嫌なのか、店頭で注文する事が多い。
それらを受け取り一度車に置いた後、食品や日用品をカートへと積んでいく。
欲しい物はないのかと問われ首を振った。
望む物はきっと手に入らない。
「サンディが選んでよ」
どっちがいい、と。
手に持っていたのは花の種だった。
庭で育てるのだろう。
特にこだわりはないのか、花や野菜が植わっている。
適当に指させば、そうかそうかと笑われた。
買い物を終え、車に荷物を積み込むとすでに夕方に近い。
帰りももちろん時間がかかる。
薄暗さと、適度な揺れで眠気が増していく。
まるで寝ても良いというようにそっと髪を撫でられて。
抵抗できずに目を閉じた。
昔、十歳になった頃。
今日と同じように買い出しに付いて行った先で、店の人に何か言われた。
理解できずに戸惑ったけれど、男は機嫌よく言葉を返した後に教えてくれた。
「オレたち、兄弟だって」
楽しそうに笑いながら。
髪や瞳の色が近いからか。
歳の離れた人間が一緒にいれば血縁関係に見えるのだろう。
親子ほどではなく、友人にも思えない。
なるほどと納得した。
繋いだ手が温かい。
それは思い出か、それとも夢なのか。
「淹れてくれるかな」
新しく買ってきた珈琲豆を見せれば、そう言われた。
望まれるのは嬉しい。
どんな味が好みだろうと悩むのも楽しかった。
準備をしていると。
「二人分だ」
感情の読めない顔のまま、答えも聞かずに部屋へと戻っていった。
いつものことだ。
湯は多めに沸かしているから大丈夫だろう。
豆を追加し、食器も取り出す。
慣れた動きをなぞっていると、蒼い瞳が向けられる。
楽しくもないだろうと思いながら、これもよくあることだった。
「私が持っていくよ」
二人分の珈琲を淹れ終えて、言葉に甘えトレイの上にカップを乗せる。
多分、しばらく戻っては来ないのだろうなとその背を見送った。
感想はまた後で聞こう。
自分用に淹れる気にはならず、使った道具を洗っていく。
別荘と、少し遠い町への買い出し。
狭い世界だけで生きている。
それはきっと、普通ではない。
けれどここではずっとそうしてきた、変わらない日々を繰り返していた。
そんないつもと同じ、ある日に。
手のひらに乗せられた。
小さな瓶。
中には透明の液体が入っている。
「愛する人の瞳に最期に映るのは自分がいい」
指が、瓶を軽く突く。
「無味無臭。一口で、苦しむことはない」
キミなら飲ませるのなんて簡単だ。
唆す言葉が続いていく。
人の命を奪うそれは、随分軽いなと思った。
深く、深く穴を掘る。
掘り返した土が山になる。
気温は低いのに、額に汗が浮いた。
単純な作業を繰り返す。
土が固く、指が痺れた。
まだだ、まだ、もっともっと深く。
大丈夫、大丈夫。
汗で滑りそうになる、シャベルの柄をきつく握る。
大丈夫。
金属製のそれは折れることはない。
大丈夫、もう一度繰り返して。
もういいな、と作業を止めた男は穴を見下ろし背を向けている。
土が付いたシャベルを、勢いを付けて振り下ろした。
嫌な感触がした。
手からシャベルが落ちる、きつく握っていたせいか、指が痺れている。
男の体は揺らいだが、倒れることはなかった。
振り返って頭に触れた手が赤く染まる。
地面に落ち、雨が降った後のように色を変えた。
「……っ」
唇が震えるが、聞き取ることはできない。
苦しそうに呼吸を繰り返し、力が抜けて膝を付く。
傍へ寄り、ポケットから車の鍵を取り出した。
胸が上下し、まだ息はある。
苦しそうに眉が寄った。
鍵を持つ手を、弱々しく掴まれる。
あぁ、血が付いてしまう。
自分と同じ、赤い瞳を覗き込んで。
穴の中へと落とした。
二人も運んで、早く埋めてしまわなければ。
深い穴なので掘り起こされることはないだろう。
そして、ここに。
「楓かぁ、甘い蜜が採れそうだ」
まだ小さな苗を撫でて笑った。
誰も訪れない、山奥の別荘。
冬がくれば雪が覆い尽くす。
もうすぐそこだ。
誰にも気付かれない。
いつしか苗は立派に育つだろう、何も知らずに。
愛する人の瞳に最期に映るのは自分がいい。
それは誰の願いだっただろう。
いつか、己の瞳が最期に映すのは誰なのか。
あぁ、早く、俺を。