次の島に向かうため、騎空艇は晴れた空の中を進んでいく。
甲板に出たグランは、手すりに寄りかかりながら白い雲をぼんやりと眺めた。
大きな依頼もなく、風も穏やかで。
下の階の甲板に干された洗濯物が揺れている。
いい天気だな、と呑気なことを思いつつも、先日の出来事が脳裏を過ぎった。
見せられた、五百年前の出来事。
考えて、と答えを求められた。
星晶獣と心を交わしたヒューマンの姿。
彼は、彼らは。
残すはずだった星晶獣が先に消えてしまった。
その事実を知らないままに。
残されて、どうなったのだろうか。
その後を彼女は教えてくれなかった。
恋い焦がれ、求め。
そばにいたいと願い、一度は手にしたのに。
失った悲しみは、どれほどのものだっただろう。
想像し、思い浮かべるのは天司であるサンダルフォンのことだった。
サンダルフォンは人の理とは違う世界で生きている。
役割はないと嘆き、苦しんで。
大切な存在と引き換えに役割を与えられた。
グランよりもずっと長い時を独りで過ごしてきた。
素直じゃなくて、皮肉っぽくて。
本心を吐露することがない。
馴れ合うことを好まないのに、共に艇に乗ることを選んだ。
カフェを開き、少しずつ絆されるように騎空団へと馴染んでいった。
まるで普通の人みたいに。
けれどサンダルフォンはやはり天司であり、星晶獣で。
強靭な肉体と力を持っている。
二千年、グランが想像できない程の長い時間。
独りで過ごした時間を思えば悲しくて。
唯一の存在を失った傷が愛しい。
慰めたいなんて傲慢なことは考えていない。
グランのことをお人好しだと呆れながら、そばにいてくれれば。
代わりになどなるわけがない。
そんなことは理解している。
けれど、サンダルフォンの信頼を得られているのはわかる。
うぬぼれではなく、他の誰かとは違う。
気持ちなど欠片も気付いていなくても。
今はまだ、それでいい。
これからずっと、手放すつもりなどないのだから。


ふ、と風が強くなった気がした。
辺りを見回すが誰もいない。
天気が悪くなる気配はないが、ラカムは気付いているだろうか。
連絡しておこうと振り返れば、バサリと、空を切る音がする。
直後、目の前に現れた姿にぱちぱちと瞬いた。
「サンダルフォン」
目立つのを嫌ってか、空を飛んで移動するところを見たことがない。
サンダルフォンは夏にまたアウギュステでカフェを出す。
その参考に他の店を手伝ってみないか、とシェロカルテに誘われて出向いていた。
期間はひと月程で、まだ終わっていないはずだ。
先程まで考えていた相手が目の前に現れた。
運命か、などと言えば笑い飛ばされるだろうか。
「どうしたの、何かあった?あ、シェロカルテは元気……」
軽い問いかけは、ガッと肩を掴まれて途中で途切れた。
見下ろす瞳が恐ろしい。
まるで、島を落とそうとしていた頃のようだ。
しかも肩に指が食い込み始めている。
「サン、サンダルフォン……?」
「……命を落としたと聞いた」
絞り出すような声に、グランの表情が強ばる。
もう終わったことだから、とグランは誰に伝える気もなかった。
余計な心配をさせるわけにもいかない。
情報源はと考えると、数日前に立ち寄る島の予定をシェロカルテに連絡をしてもらっていた。
その際に誰かが告げたのかもしれない。
「彼女に聞いて、心配なら帰っていいと言われた」
指の力がようやく抜け、手のひらが腕から、手首の辺りに滑っていく。
温もりを確かめるように指が絡まった。
「……君は、何をやっているんだ」
「あれは、不可抗力というか、どうにもならなかったというか」
抗うことなどできなかった。
結果、ルリアもろとも命を落としてしまった。
そうだ、空の民は星晶獣よりもずっと脆い。
命など簡単に尽きてしまう。
これまでに幾度も危険な目にあい、理解していたつもりだった。
命を落としかけたことも片手では足りない。
目の前のサンダルフォンだってそうだ。
グランを空の底へと突き落としたことがある。
その度に助けられ、旅を続けることができた。
運なのか、それとも。
グランが特異点という存在だからか。
「でもほら、僕は大丈夫……」
強がった言葉ではなかった。
それなのに、寒気がする様に体が震える。
あの静かで、穏やかな空間では感じなかった恐怖が今更訪れる。
何かを間違えていれば、今ここに立っていなかったかもしれない。
聞いた話を信じるならば、グランの消滅により世界が消えていたかもしれないが、そんなもしもは確かめようがない。
震えるグランに気付いたのか、サンダルフォンの手に力がこもる。
「大丈夫そうには見えないが」
冷静な声で指摘され、ほんの少し気持ちが落ち着く。
「今までは大丈夫だったんだよ!」
これは強がりだ。
もっと余裕を持った態度でいたかったのに。
「今の君は温かいな」
心臓が音を立て、全身に血液を巡らせる。
そこで生まれた熱が、サンダルフォンに伝わった。
「サンダルフォンはちょっと冷たいね」
傷一つない、なめらかな肌の美しい指先。
体温の違いが、互いが異なる存在だと主張してくるようだった。
少し高い位置にある瞳を見つめる。
燃えるような怒りは消えたようでホッとする。
シェロカルテの依頼はそこまで重要なものではない。
けれど一度引き受けたサンダルフォンが、仕事を途中で放り出して戻ってくるなんて。
心配されたのだと、じわじわと沸き起こる感情に心臓が大きな音を立てる。
今、この空で。
彼の一番になれたのかもしれない。
「サンダルフォンは、僕がいなくなったら寂しい?」
ずるい問いかけだと自覚している。
相手が、甘やかな言葉を返してくれるとは思っていないけれど。
鼻で笑われるかな、とそんな程度に考えたのに。
「そんなの、俺だけじゃないだろう」
憮然とした声が届く。
寄った眉が一層不機嫌そうだ。
「君は、自分がどれだけの団員を抱えているか自覚がないのか」
わかってるよと答えながら、グランも手に力を込める。
考えたことがなかったわけではない。
グランはいつか、サンダルフォンや、他の星晶獣である仲間たちを置いていく。
空の民である限り逃れることはできない。
眠りにつく選択をすれば、見送る側になるのだろうか。
けれどそれは、ずっと遠い未来であればいいと願う。


「サンダルフォンさーん!!おかえりなさい!!」
下の階の甲板に顔を出したルリアが、サンダルフォンに気付いて両手を振る。
「私、サンダルフォンさんに話したいことがあって!」
声を上げて懸命に訴える。
今にも駆け上がってきそうだった。
「サンダルフォン、行ってあげて」
「……勝手に、消えるなよ」
苦い表情で告げ、手すりを掴んだ。
羽はしまっているのに、軽く飛び越えて階下へと着地する。
その身軽な動きを目で追えば、ルリアが驚いた表情をしていた。
グランがルリアと見た水面の中。
映されたのは星晶獣と人だけではない。
サンダルフォンが知らない、天司長であったルシフェルの過去を垣間見た。
それを話してもいいのかグランは悩んでいた。
思い出は手強く、生身の人間が勝てるわけがない。
ルリアはきっと伝えるだろう。
サンダルフォンのためを思って。
グランは決心できなかったことを。
「まだ駄目かぁ……」
掴んだ指の感触を思い出す。
自分よりも低い温度を。
いつの日か、抱きしめて。
余すことなく触れたい。
願望は悟られぬようしまい込む。
穏やかに微笑むサンダルフォンを、遠くから眺めた。

text